1995年 優勝へ向かうオリックス・ブルーウェーブの喜び、苦しみなどストーリーが詰まった新聞紙面ギャラリー。

- 1995.06.10付
デイリースポーツ1面

- 1995.08.24付
デイリースポーツ1面

- 1995.08.30付
デイリースポーツ1面

- 1995.08.31付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.13付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.15付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.16付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.19付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.20付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.20付
デイリースポーツ2面

- 1995.09.20付
デイリースポーツ3面

- 1995.09.20付
デイリースポーツ終面

- 1995.10.26付
デイリースポーツ1面

- 1995.09.20付
神戸新聞1面
神戸新聞に掲載された優勝関連記事をピックアップ。
復興励ます初V/お待たせオリックス胴上げ/神戸に本拠5年目
1995/09/20 朝刊
プロ野球パ・リーグのオリックス・ブルーウェーブが十九日、西武球場での対西武ライオンズ戦を8・2で勝ち、王手をかけて6試合目にして、念願のリーグ初優勝を果たした。
新球団になって七シーズン目、神戸に本拠地を移し「市民球団」を唱えて五シーズン目。前身の阪急時代を含めると十一年ぶり十一度目のリーグ制覇となる。
「がんばろう KOBE」のワッペンをそでに着けた選手の活躍は、震災で打撃を受けた神戸市民を励ました。
西武球場は神戸からもファンが詰めかけ満員。優勝の瞬間、仰木監督が宙に舞った。
二年連続首位打者の道を走るイチロー、救援記録を塗り替えた平井、ノーヒットノーランを演じた佐藤…。
快進撃を支えたヒーローたちが最高の笑顔で胴上げの輪に加わった。
球団も震災と無縁ではなかった。高田誠捕手や高橋智外野手は自宅が全、半壊し、一時は練習計画の変更を検討した。だが、「被災者のためにできるのは、いいプレーを見てもらうこと」と予定通り二月にキャンプ入りした。
当初はスタンドに空席が目立ったが、快進撃と交通の復旧が進んだ七月ごろから若者、女性ファンら観客が増えた。被災した児童にも球場を開放し、観客は昨年より四試合早く八月十日に百万人を突破した。
「優勝を復興の弾みに」との期待は大きく、二十日からは多くの百貨店や商店街が優勝セールを始める。

社説/被災地に元気もたらした優勝
1995/09/20 朝刊
プロ野球パ・リーグのオリックス・ブルーウェーブが、ついに優勝を決めた。地元神戸での胴上げはならず、ファンはやきもきさせられたが、やはりうれしい優勝である。
おめでとう。そして、ありがとうと言いたい。おめでとうは、頑張って優勝したチームへの文句なしの祝福であり、ありがとうは、阪神大震災で壊滅の悲哀を味わい、懸命に立ち上がろうとしている被災地住民からの感謝の気持ちである。被災地に今、最も必要な「元気」を、優勝がもたらしてくれた。
オリックスは不思議なチームだ。イチローの存在と活躍は別にして、チームも選手も全体に地味で、剛速球の大エースもいなければ、不動の大砲も、三割バッターもいない。それでいて、しっかり勝ってしまう。
事実、オリックスのクリーンアップはいつもくるくる変わった。仰木監督は、その時々の調子で実にうまく選手を使った。平井という若くて強力なストッパーの成長もあったが、野球とは名前や数字だけで勝つのではないということを、見事に示してくれた。
仰木魔術といわれるゆえんだが、選手もこれに良くこたえた。馬場、小川、田口ら、小柄で地味な選手たちは、それぞれ自分の役割をよく知り、状況に応じた仕事をしたと思う。同じ地元のもう一つの人気球団も少し見習ったらどうか。
「がんばろうKOBE」の文字を肩に付け、選手たちは戦った。いいことなどほとんど無かった被災地の人たちにとって、それは大きな励ましだったし、イチローが打ち、チームが快進撃をするごとに、身内意識が高まった。神戸の市民球団という意識である。
オリックスが市民球団に生まれ変わって五年になるが、地元神戸では阪神ファンが圧倒的に多く、チームカラーも地味で、どこか「お客さん」のイメージがあった。それをイチローが変えた。個性を引き出す仰木さい配も生きて、チームは見違えるように勝ち出した。
不思議な相乗効果といおうか。勝つほどにファンは増え、その頑張りが被災地の「希望」につながり、地元のわが球団という親近感を増した。そして、震災という試練の年に優勝という劇的な快挙をもたらした。復興Vである。
優勝が近づくにつれ、地元は盛り上がった。神戸商工会議所や各地の商店街は市内各所に横断幕を上げ、デパート、スーパーも競って記念セールを企画した。オリックスが日本一になったら、その経済効果は三百億円との試算も出された。それも大きいが、もっと大きいのは、数字に表せない「元気効果」だろう。被災地は、確かな元気をもらった。
監督と後援会は、開幕から被災児童の球場招待を続け、その数は一万人を超えた。球場は開放的で、若く、新しいファンが目立つ。野球界の”新しい波”が生まれる予感もわく優勝である。

オリックスがい旋/神戸市民と感激分かつ
1995/09/27 朝刊
プロ野球パ・リーグで初優勝を飾ったオリックス・ブルーウェーブが二十六日、優勝決定後初めて本拠地・神戸に戻り、歓喜のグラウンド一周などで地元ファンとあらためてVの感激を分かち合った。
この日の対西武ライオンズ戦は、十九日に西武球場で優勝を決めて以来、初のグリーンスタジアム神戸での試合となった。残念ながら地元での胴上げがなかっただけに、平日にもかかわらず同球場には二万八千人が詰め掛けた。
試合前、笹山幸俊神戸市長が神戸市スポーツ特別賞を贈呈。西武を倒した試合終了後、マウンド付近に選手らが整列し、パ・リーグの原野会長から仰木監督に優勝のペナントが手渡された。仰木監督は「がんばろう神戸の合言葉とみなさん方の声援があっての優勝だった」と、観衆に優勝のあいさつ。紙吹雪や紙テープが舞う中で、選手もファンも優勝の喜びに浸った。
ハラハラ、ドキドキありがとう/オリックス 兵庫県が特別賞/全員野球、復興を後押し
1995/11/02 夕刊
プロ野球パ・リーグで優勝し、阪神大震災の被災者らに夢と希望を与えたオリックス・ブルーウェーブに二日、兵庫県スポーツ特別賞が贈られた。
貝原知事から記念品を受け取った仰木彬監督は「被災者の皆さんのお力になれればという気持ちだったが、逆に皆さんから激励された。選手と皆さんとの一体感もできた」と話し、市民と一緒に戦ってきた数々の試合を振り返った。
プロスポーツの分野で功績を上げた選手・団体を対象にした賞だが、一九八八年の創設以来、団体に贈られるのは初めて。「がんばろうKOBE」のスローガンを掲げて試合に挑んだ姿が、被災者らに勇気を与えたことなどが受賞理由となった。
県公館で行われた贈呈式には、仰木監督をはじめ選手会長と副会長をそれぞれ務める星野伸之投手、藤井康雄外野手、それに岩井靖球団社長が同席。星野投手は「僕たちにできることは野球しかない。いい結果を出せて、これで神戸市民の球団になれたと思う」と話していた。

15万人「元気ありがとう」/オリックス優勝パレード
1995/11/06 朝刊
神戸に本拠地を移して五年目、念願のリーグ初優勝を果たしたオリックス・ブルーウェーブの選手らが五日、神戸市内をパレードした。沿道にはファンら約十五万人(生田署調べ)が詰め掛け、「イチロー」「おめでとう」などの声援を送りながら、選手の姿をカメラやビデオに収めていた。
パレードは、WE LOVE KOBE元気復興委員会や神戸新聞社などが主催。オープンカーに乗ったイチロー選手や仰木監督らを先頭に、神戸市役所南側の東遊園地から、ハーバーランドまで約二キロを一時間かけて行進した。
沿道では幾重にも人垣ができ、パレードが通り過ぎると、駆け足で追う熱狂的なファンも。行列が見えず、「イチロー、イチロー」とぐずる幼い男の子をお父さんが肩車する場面もあった。
東遊園地からパレードを追い掛けた神戸市長田区の会社員Yさん(26)と同市北区の会社員Mさん(25)のカップルは、「来年はぜひ日本一になって、パレードしてほしい」と話していた。








