1995年の阪神・淡路大震災から15年が経ちました。
震災が起こったその年、オリックス・ブルーウェーブはリーグ優勝を果たし、被災した人々の心を励まし勇気づけました。
その栄光は今でも地元神戸で語られています。
オリックス・バファローズ藤井スカウト、星野コーチは、自らも被災しながらチームを優勝に導いた当時の主力選手です。
神戸の人々とファンの皆さんにむけて、『がんばろうKOBE』をスローガンに闘った当時の選手に、 「阪神・淡路大震災を振り返って」と「今シーズンの抱負」について語ってもらいました。

震災から15年、一つ間違えば自分もどうなっていたのかなと・・・。
震災の前日、高校の同窓会で朝まで盛り上がり、家路につく直前に“パンクしたかな?”と思うくらいの衝撃を受けたのを思い出します。
家に着いてテレビを見ると、今通って来た阪神高速が倒れている映像を見た瞬間、一つ間違えば自分もどうなっていた事かと思うと同時に、こんな状況で野球が出来るのかなという思いでした。
しかし、『こう言う時だからこそ野球を開催しよう!』との宮内オーナーの一言、袖につけた『がんばろうKOBE!』の一言に集約した不思議なパワーをもらっての優勝でしたね!
このシーズン、初めてと言ってもいいくらい、みんなの為に野球をさせてもらうというか勝ちたい!と思ったシーズンでした。
もう15年経つのかという感じですが、この事は風化させてはいけないと思うし、今年からスカウトという仕事をしていく中で、この震災の年に生まれてきた子供達をスカウト出来たらいいなと思っています!
震災の前日、高校の同窓会で朝まで盛り上がり、家路につく直前に“パンクしたかな?”と思うくらいの衝撃を受けたのを思い出します。
家に着いてテレビを見ると、今通って来た阪神高速が倒れている映像を見た瞬間、一つ間違えば自分もどうなっていた事かと思うと同時に、こんな状況で野球が出来るのかなという思いでした。
しかし、『こう言う時だからこそ野球を開催しよう!』との宮内オーナーの一言、袖につけた『がんばろうKOBE!』の一言に集約した不思議なパワーをもらっての優勝でしたね!
このシーズン、初めてと言ってもいいくらい、みんなの為に野球をさせてもらうというか勝ちたい!と思ったシーズンでした。
もう15年経つのかという感じですが、この事は風化させてはいけないと思うし、今年からスカウトという仕事をしていく中で、この震災の年に生まれてきた子供達をスカウト出来たらいいなと思っています!
もう15年になるんですね。震災当時、愛媛県の新居浜に自主トレで行っていた事を思い出します。
新居浜でも揺れを感じたんですがあまり気にもせず練習をしていてホテルの方から、『神戸が大変なことになっているぞ!』との連絡を受け飛んで帰った事など、今でも鮮明に覚えています。
キャンプも集まれる人だけ集まろう!という中スタートしたシーズン。
まさか優勝なんて考えもしなかったですし、被災された人達を野球で励ますつもりが、逆に励ましてもらいファンの方と一体になっての優勝でしたね!
15年経った今も苦しんでいる人達がまだいるかもしれないし、親を亡くした子供達が結婚して親になっているかもしれない。
そんな人達の為にもまた一体感をもって優勝目指して、神戸を盛り上げていけたらと思います。
新居浜でも揺れを感じたんですがあまり気にもせず練習をしていてホテルの方から、『神戸が大変なことになっているぞ!』との連絡を受け飛んで帰った事など、今でも鮮明に覚えています。
キャンプも集まれる人だけ集まろう!という中スタートしたシーズン。
まさか優勝なんて考えもしなかったですし、被災された人達を野球で励ますつもりが、逆に励ましてもらいファンの方と一体になっての優勝でしたね!
15年経った今も苦しんでいる人達がまだいるかもしれないし、親を亡くした子供達が結婚して親になっているかもしれない。
そんな人達の為にもまた一体感をもって優勝目指して、神戸を盛り上げていけたらと思います。


15年。現役最後の年でしたね。ビルがあんな事になって・・・。忘れようにも忘れられない大きな出来事でした。
交通機関が麻痺して球場に通う事が出来ず、寮で寝泊りしていた事を覚えています。
こんな状況で“野球をやって良いのかな”と正直思いましたね。
まさか優勝できるとは考えてもいなかったし、“がんばろうKOBE”を袖につけて、とにかく“がんばろう”それだけでした。
チームが優勝して神戸の被災者の人達に勇気を与える事ができた。
と言うよりも、本当のところは、我々がわからないうちに市民の皆さんに、力を与えて貰ったのかもしれないですね。
我々ができる事は、市民の皆さんに注目し応援してもらえる様な“強いチーム”を作る事です。
そして、少しでも神戸の街に活気を与える事ができればと思います。







