70's

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LEGEND OF Bs 2012 阪急ブレーブス

当時の選手・監督

  • 阿波野秀幸 HIDEYUKI AWANO
  • 梨田昌孝 MASATAKA NASHIDA
  • デービス RICHARD EARL DAVIS
  • 大石大二郎 DAIJIRO OHISHI
  • 金村義明 YOSHIAKI KANEMURA
  • 真喜志康永 YASUNAGA MAKISHI
  • 新井宏昌 HIROMASA ARAI
  • 栗橋茂 SHIGERU KURIHASHI
  • ブライアント RALPH WENDELL BRYANT

阿波野秀幸 HIDEYUKI AWANO

阿波野秀幸 HIDEYUKI AWANO

1964年7月28日生 178㎝ 77㎏ 
左投左打  桜丘高→亜大→近鉄→巨人→横浜
通算 305試合 75勝68敗5セーブ 防御率3.71
在籍 1987年~1989年 90試合
48勝32敗2セーブ 防御率2.74

1987年ドラフト1位で近鉄に入団すると、リーグ最多の201奪三振と15勝で新人王を獲得。
美しいフォームから回転の効いた速球とスライダーを武器に、西崎幸広(日本ハム・ファイターズ)との激しいデッドヒートを制しての受賞だった。
モデル体型に甘いマスクで西崎や渡辺久信(西武ライオンズ)、星野伸之(阪急ブレーブス)らとトレンディー・エースと呼ばれた。
89年も19勝を挙げ、最多勝のほか最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞も獲得。
前年88年の"10・19"の無念を晴らし、リーグ制覇を決めた一戦では胴上げ投手も務めた。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

梨田昌孝 MASATAKA NASHIDA

梨田昌孝 MASATAKA NASHIDA

1953年8月4日生 178㎝ 75㎏
右投右打 浜田高→近鉄
通算 1323試合 874安打 113本塁打
439打点 打率.254
在籍 1980年~1988年 794試合
596安打 78本塁打 300打点 打率.263

1972年ドラフト2位で近鉄に入団。強肩を武器に高卒捕手ながら2年目から頭角を現したが起用は有田修三との併用が続いた。
その後、打席で両腕をクネクネと動かす"コンニャク打法"で打力もアップ。
80年は.自身最高となる打率.292を残し、81年まで3年連続でベストナインにも選ばれた。
守備面では強さと速さを備えたスローイングで圧倒的な盗塁阻止率を維持。
4度のダイヤモンドグラブ賞(現在はゴールデングラブ賞)も獲得している。
なお、現役最後のヒットは、88年"10・19"の第1試合での決勝タイムリーだった。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

デービス RICHARD EARL DAVIS

デービス RICHARD EARL DAVIS

1953年9月25日生 191㎝ 89㎏ 右投右打
スノー大学 →ブルワーズ→フィリーズ→ブルージェイズ→パイレーツ→近鉄
通算 1984年~1988年 461試合
564安打 117本塁打 322打点 打率.331

1984年5月に突如退団したドン・マネーに代わり、近鉄に入団した。
85年には打率.340、40本塁打、109打点の大活躍でベストナインを獲得。
この年、三冠王に輝いた落合博満(ロッテ・オリオンズ)がいなければ、代わって三冠王にも迫る猛打だった。
バット以外でも話題となり、86年にはデットボールを投じた東尾修(西武ライオンズ)を殴り、10日間の出場停止処分を受ける。
そして、88年6月には大麻所持により、シーズン途中で解雇。
在籍5年の通算打率が.331の"優良助っ人"はあっけなく日本を去った。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

大石大二郎 DAIJIRO OHISHI

大石大二郎 DAIJIRO OHISHI

※87年~90年の登録名は第二朗

1958年10月20日生 166㎝ 71㎏
右投右打 静岡商業高→亜細亜大→近鉄
通算 1892試合 1824安打 148本塁打
654打点 打率.274
在籍 1981年~1989年 1046試合 
1065安打 96本塁打 361打点 打率.278

1981年ドラフト2位で近鉄に入団し、猛牛打線のトップバッターとして活躍。
2年目の82年に新人王、83年には60盗塁で阪急・福本豊の14年連続を阻み盗塁王を獲得。
通算でも歴代7位の415盗塁を記録し、4度の盗塁王に輝いた。
身長166cmの小兵ながら、パンチの効いたバッティングで、84年には29本塁打をマーク。
89年の日本シリーズでは、第1戦に先頭打者本塁打を放った。
フットワークが際立つセカンド守備も光り、ダイヤモンドグラブ賞を3度獲得している。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

金村義明 YOSHIAKI KANEMURA

金村義明 YOSHIAKI KANEMURA

1963年8月27日生 185㎝ 90㎏ 
右投右打 報徳学園高→近鉄→中日→西武
通算 1262試合 939安打 127本塁打 
487打点 打率.258
在籍 1982年~1989年 581試合 
436安打 65本塁打 235打点 打率.252

1982年の夏、報徳学園が全国制覇を果たした時のエース兼四番。
子供の頃から大ファンだった阪急ブレーブスへの入団を強く望んでいたが、抽選の結果、ドラフト1位で近鉄へ入団。
すぐにバッティングセンスを買われ、内野手へ転向すると、80年代半ばから90年代前半までサードを守った。
勝負強さが光るバッティングで、86年は自己最多の23本塁打、7月17日の阪急戦ではサイクルヒットも記録。
ガッツあふれるプレースタイルと豪快なキャラクターは、まさに当時の近鉄を象徴していた。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

真喜志康永 YASUNAGA MAKISHI

真喜志康永 YASUNAGA MAKISHI

1960年5月3日生 172㎝ 74㎏
右投右打 沖縄高→東芝→近鉄
通算 370試合 150安打 14本塁打 53打点 打率.207
在籍 1987年~1989年 302試合 
135安打 12本塁打 50打点 打率.212

1987年ドラフト3位で近鉄に入団。社会人時代(東芝)から定評のあった高い守備力を生かし、ルーキーながら開幕スタメンでショートを守った。
2打席目にロッテ・オリオンんズ・村田兆治から一発を放ち、周囲を驚かせた。
バントなどの小技を得意とする一方、意外性も秘めており、88年の10・19の第2試合でも、7回表に一時点差を広げる吹石との連続本塁打を放っている。
近鉄がシーズンの主役を演じた88年、89年にレギュラーとして110試合以上に出場し活躍した。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

新井宏昌 HIROMASA ARAI

新井宏昌 HIROMASA ARAI

1952年4月26日生 174㎝ 69㎏
右投左打 PL学園高→法政大→南海→近鉄
通算 2076試合 2038安打 88本塁打 
680打点 打率.291
在籍 1986年~1989年 507試合 
599安打 40本塁打 219打点 打率.311

1975年ドラフト2位で南海ホークスに入団し、86年に近鉄へ移籍。
中西太氏の指導も力としながら、打撃技術を高め、87年には打率.366で首位打者を獲得。
球に逆らわず左右に打ち返した184本のヒットは130試合制での日本記録となった。
89年には約19打席に1回の割合でしか三振しないバットコントロールと、通算300犠打を記録したチーム打撃で主に二番を務め、リーグ優勝にも貢献。
"近鉄史上最高の二番打者"との呼び声が高い。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

栗橋茂 SHIGERU KURIHASHI

栗橋茂 SHIGERU KURIHASHI

1951年8月10日生 177㎝ 85㎏ 
左投左打 帝京商高→駒澤大→近鉄
通算 1550試合 1301安打 215本塁打 
701打点 打率.278
在籍 1980年~1989年 981試合 
874安打 142本塁打 481打点 打率.283

1974年ドラフト1位で近鉄に入団。入団5年目の78年にレギュラーの座に就くと「和製ヘラクレス」の異名を取ったパワフルなバッティングで主に猛牛打線の5番を担った。
80年に自身最高打率となる.328を残し、出塁率でもリーグトップの.406。
2年練続のベストナインにも輝きチームのリーグ連覇に大きく貢献した。
80年代に3度のオールスター出場、85年にはサイクルヒットも放っている。
近鉄が9年ぶりにリーグを制した89年に現役を引退。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社

ブライアント RALPH WENDELL BRYANT

ブライアント RALPH WENDELL BRYANT

1961年5月20日生 185cm 94kg 右投左打
エイブラハム・ボールドウィン農業大学 →ドジャース→中日→近鉄
通算 773試合 778安打 259本塁打 
641打点 打率.261
在籍 1988年~1989年 203試合 
222安打 83本塁打 194打点 打率.292

1988年のシーズン中に中日ドラゴンズへ入団したが、6月にはリチャード・デービスの後釜を探していた近鉄へ金銭トレードで移籍。
そこから74試合で34本塁打を放ち、奇跡的な追い上げで"10・19"まで辿り着くチームを引っ張った。
89年も爆発は続き、8月17日にはプロ野球記録となるシーズン3度目の1試合3本塁打。
ペナントレース終盤には西武ライオンズ、オリックス・ブレーブスと熾烈な首位争いを繰り広げていた10月12日、西武とのダブルヘッダーで4打数連続本塁打。
チームを逆転優勝に導き伝説の男となった。
この年、本塁打王、リーグMVPにも輝いた。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定 /ベースボール・マガジン社