• 近鉄バファローズ
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  • 当時の順位表
  • 当時の選手・監督
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投手

山田 久志

山田 久志

1948年7月29日生 176㎝ 77㎏ 右投右打 能代高―富士鉄釜石―阪急
通算 登板654 284勝166敗43セーブ 防御率3.18
在籍70年~79年 登板403 171勝83敗33セーブ 防御率2.9170's 獲得タイトル

1969年ドラフト1位で阪急に入団すると、背番号が25から17に替わったプロ3年目、71年に22勝をマーク。当時はアンダースローから繰り出す快速球が大きな武器となっていたが、70年代中盤にシンカーをマスターしたことで新境地を開拓。76年には26勝で最多勝のタイトルを獲得。76年から78年まで3季連続でパ・リーグMVPに輝いた。70年代の10年間では通算171勝。75年からは12年連続で開幕投手を務めた(プロ野球記録)。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

捕手

中沢 伸二

中沢 伸二

1946年6月18日生 176㎝ 82㎏ 右投右打 甲府工―阪急
通算 1359試合 648安打 61本塁打 296打点 打率.225
在籍70年~79年 728試合 358安打 32本塁打 168打点 打率.219

1965年に阪急入団。プロ1年目は外野手、および一塁手として一軍出場を果たすも、その後は捕手としての登場機会が増え、74年には113試合に出場しレギュラーの座に就いた。75年、広島東洋カープとの日本シリーズでは第3戦と第6戦でいずれも勝ち越し2ランを放ち、球団史上初の日本一に貢献。勝負強い打撃で大きなインパクトを与えた。78年にはベストナインとダイヤモンドグラブ賞をダブル受賞。82年にはプロ17年目で初の打率3割クリア。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

一塁手

加藤 秀司

加藤 秀司

1948年5月24日生 176㎝ 75㎏ 左投左打 PL学園―松下電器―阪急―広島―近鉄―巨人―南海
79年、秀司から改名
通算 2028試合 2055安打 347本塁打 1268打点 打率.297
在籍70年~79年 1121試合 1233安打 219本塁打 767打点 打率.31470's 獲得タイトル

1969年ドラフト2位で阪急に入団すると、71年にはリーグ2位の打率.321をマーク。一塁のレギュラーに定着すると、両ヒザを深く折り曲げたフォームからヒットを量産。73年には打率.337、さらに79年には打率.364で2度首位打者に輝く。チームが初の日本一となった75年には97打点で打点王のタイトルを獲得、シーズン通しての活躍が評価されMVPにも選出された。ザ・ドリフターズの加藤茶にちなんで「チャ」の愛称で親しまれた。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

二塁手

マルカーノ

マルカーノ

1951年6月7日生 177㎝ 75㎏ 右投右打 カラスコ高―レッズ―阪急―ヤクルト
通算 1313試合 1418安打 232本塁打 817打点 打率.287
在籍75年~79年 608試合 684安打 128本塁打 393試合 打率.29270's 獲得タイトル

1969年にシンシナティ・レッズと契約後、メジャー経験がないまま75年阪急に入団。すると来日1年目から主に「五番・セカンド」として打率.298、23本塁打と活躍、チームの優勝に貢献した。78年には94打点で打点王のタイトルを獲得。75年から4年連続で出場した日本シリーズでは通算打率.303と大舞台での勝負強さも印象深い。真面目な性格で多くのファンから愛されたが、現役引退後の90年11月、39歳の若さで帰らぬ人となった。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

三塁手

森本 潔

森本 潔

1942年4月13日生 168㎝ 74㎏ 右投右打 西条高―立大―三協精機―阪急―中日
通算 1450試合 1122安打 146本塁打 572打点 打率.248
在籍70年~76年 774試合 676安打 97本塁打 366打点 打率.262

パーマのかかった長髪にサングラス、そして口ヒゲという個性的な風ぼうが記憶に残るプレーヤー。サードの定位置を獲得し、初めて規定打席をクリアしたのは入団5年目の1967年。チームの初優勝に貢献するとともに、ベストナインにも輝いた。71年には自己最高の打率.284をマーク。76年、巨人との日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦、1点を追う7回表に起死回生の逆転2ランを放ち、宿敵・巨人撃破の立役者となった。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

遊撃手

大橋 穣

大橋 穣

1946年5月29日生 176㎝ 78㎏ 右投右打 日大三高―亜大―東映―阪急
通算 1372試合 739安打 96本塁打 311打点 打率.210
在籍72年~79年 889試合 497安打 65本塁打 223打点 打率.213

当時の東都大学リーグ記録となる通算20本塁打の実績を引っさげ、1969年ドラフト1位で東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)に入団。72年、阪本敏三とのトレードで阪急に移籍すると、以後ショートのレギュラーとして活躍。76年まで5年連続でベストナインに輝いた。また、堅実な守備にも定評があり、ダイヤモンドグラブ賞には72年から78年まで7年連続で選出。75年、広島東洋カープとの日本シリーズでは1本塁打を含む19打数7安打、打撃賞を受賞している。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

外野手

大熊 忠義

大熊 忠義

1943年9月8日生 171㎝ 74㎏ 右投右打 浪商高―近大―阪急
通算 1423試合 1073安打 101本塁打 412打点 打率.260
在籍70年~79年 1067試合 817安打 71本塁打 329打点 打率.259

1964年阪急に入団すると、プロ5年目の68年にレフトのレギュラーに定着。71年には自己最高の打率.307をマーク。70年代中盤には一番・福本豊のあとを打つ二番打者の座を任されると、盗塁をアシストするとともに、献身的なつなぎのバッティングでチャンス拡大に努めた。73年5月から76年4月にかけてはパ・リーグ新となる外野手・最多連続守備機会(591)無失策を記録。センターの福本とともに鉄壁の左中間守備を誇った。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

外野手

福本 豊

福本 豊

1947年11月7日生 169㎝ 68㎏ 左投左打 大鉄高―松下電器―阪急
通算 2401試合 2543安打 208本塁打 884打点 打率.291
在籍70年~79年 1265試合 1427安打 112本塁打 484打点 打率.29570's 獲得タイトル

1969年ドラフト7位で阪急に入団すると、翌70年からセンターのレギュラーに定着。そもそもの足の速さと、相手ピッチャーの投球フォームのクセを盗む旺盛な研究心が重なって、70年から82年まで13年連続で盗塁王のタイトルを獲得。72年には日本記録となるシーズン106盗塁をマーク。重量が1キロを超える「つちのこバット」を巧みに操り打率3割も7度クリア。76年、巨人との日本シリーズでは打率.407、2本塁打でMVPに輝いた。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社

外野手

長池 徳士

長池 徳士

1944年2月21日生 175㎝ 82㎏ 右投右打 撫養高―法大―阪急
79年、徳二から改名
通算 1449試合 1390安打 338本塁打 969打点 打率.285
在籍70年~79年 991試合 939安打 233本塁打 689打点 打率.29070's 獲得タイトル

1966年ドラフト1位で阪急に入団すると、翌67年には早くも打線の中軸を任され27本塁打をマーク。構えの段階で左肩にアゴを乗せる特徴的な打撃フォームからホームランを量産。71年から73年まで3シーズン連続で40本塁打超えを成し遂げ、パ・リーグを代表するスラッガーとなった。通算338本塁打は阪急の球団記録。71年5月28日から7月6日にかけては当時の日本記録となる32試合連続安打をマークしている。

写真・原稿・協力・ベストナイン選定/ベースボール・マガジン社