PLAYER BUFFALOES

  • 野茂 英雄 Hideo Nomo
  • 古久保 健二 Kenji furukubo
  • 石井 浩郎 Hiroo Ishii
  • 大石 大二郎 Daijiro Ohishi
  • 中村 紀洋 Nakamura Norihiro
  • 水口 栄二 Eiji Mizuguchi
  • タフィ・ローズ Tuffy Rhodes
  • 大村 直之 Naoyuki Oomura
  • 鈴木 貴久 Takahisa Suzuki
  • ラルフ・ブライアント Ichiro

野茂 英雄

Hideo Nomo

1968年8月31日生 185㎝ 89㎏ 右投右打
成城工業高校→新日鉄堺→近鉄
在籍 1990年~1994年
139試合 78勝46敗1セーブ 防御率3.15

1989年秋、ドラフトでNPB史上最多となる8球団競合の末、
仰木彬監督が引き当て、新日鉄堺から入団。
1年目から噂に違わぬ剛腕ぶりで新人王、最多勝、最多奪三振、沢村賞など
投手部門のタイトルを独占。
他にも在籍5年の間に1試合17奪三振、6試合連続2桁奪三振、
史上最速での通算1,000奪三振など、数々の記録と鮮烈な記憶を残し、
94年のオフ、夢を追い、アメリカへ渡った。
抜群のボディーバランスを生かしたトルネード投法から
投げ込む150㌔の真っすぐと魔球、フォーク。
真っ向勝負の醍醐味を、プロ野球ファンに再認識させた功績も大きい。

古久保健二

Kenji furukubo

1964年6月23日生 176㎝ 75㎏ 右投右打
大成高校→近鉄
通算943試合 378安打 186打点 38本塁打 打率.204
在籍 1990年~2002年
803試合 338安打 169打点 35本塁打 打率.204

1983年にドラフト6位で太成高校(現・太成学院高校)から
ドラフト6位で入団し、近鉄一筋に20年プレー。
強気のリードと投手陣を引っ張る兄貴分的な性格でナインの信頼の厚い捕手だった。
出場が100試合を超えたのは95年のみだが、
89年、2001年のリーグ優勝時も陰となり、日向となりチームを側面から支えた。
また、90年代後半は大塚晶文とコンビを組む「抑え捕手」や
デビュー間もない岩隈久志との「親子バッテリー」でも話題になった。

石井浩郎

Hiroo Ishii

1964年6月21日生 183㎝ 94㎏ 右投右打
秋田高校→早稲田大学(中退)→プリンスホテル→近鉄→巨人→ロッテ→横浜
通算974試合 894安打 536打点 162本塁打 打率.289
在籍 1990年~96年
619試合 657安打 398打点 133本塁打 打率.300

1990年にドラフト3位でプリンスホテルから近鉄へ入団し、
1年目から3割、22本塁打を記録。社会人時代、
全日本の四番を務めた打力で猛牛打線の中核を担った。
94年には33本塁打、111打点で打点王も獲得。
豪快なフルスイングと勝負強さを備えたバッティングは今も猛牛ファンの心に残る。
92年7月26日から95年6月8日まで、
当時のプロ野球記録となる362試合連続先発四番出場を記録した。
選手生活の後半は手首の故障に苦しみながら、4球団を渡り歩き、13年間プレーした。

大石大二郎1987年~90年の登録名は第二朗

Daijiro Ohishi

1958年10月20日生 166㎝ 71㎏ 右投右打
静岡商業高校→亜細亜大学→近鉄
通算 1892試合 1824安打 148本塁打 654打点 打率.274
在籍 1990年~1997年
846試合 759安打 52本塁打 293打点 打率.267

1981年ドラフト2位で入団して以来、長らく猛牛打線のトップバッターとして活躍。
166㎝の小柄な体ながら1㎏を超えるバットを扱い、パンチ力も発揮した。
80年代後半は肩の故障に悩まされたが、
90年にはリーグ2位の打率.314、20本塁打で完全復活。
5年ぶりにフル出場となった92年のオフには、
球団史上初の1億円プレーヤーにもなった。
通算4度目となる盗塁王を獲得した93年まで不動のレギュラーとして活躍し、
95年には史上7人目の通算400盗塁も記録した。

中村 紀洋

Norihiro Nakamura

1973年7月24日生 180㎝ 93㎏ 右投右打
渋谷高校→近鉄→ロサンゼルス・ドジャース→オリックス→中日→楽天→横浜・DeNA
通算2132試合 1968安打 1277打点 390本塁打 打率.266(2012年終了時点)
在籍 1992年~2004年 成績
通算1383試合 1294安打 916打点 307本塁打 打率.267

1992年にドラフト4位で渋谷高校から入団。
4年目の95年に、20本塁打で三塁のポジションをつかむと、
98年から5年連続30本塁打以上をマークし、チームの顔になった。
2000年には本塁打、打点の二冠、01年には46本塁打、
132打点で2年連続の打点王も獲得。
豪快なフルスイングで多くのファンを魅了した。
また、本人が打撃以上に好きと話すこともあった守備でも
ゴールデングラブ賞を七度受賞(近鉄では五度)。
大きな体に似合わぬ軽快な動きと、
強く正確なスローイングでチームを何度もピンチから救った。

水口 栄二

Eiji Mizuguchi

1969年1月9日生 174㎝ 78㎏ 右投右打
松山商業高校→早稲田大学→近鉄→オリックス
通算1561試合 1213安打 417打点 53本塁打 打率.269
在籍 1991年~2004年
1329試合 1085安打 368打点 48本塁打 打率.271

1991年にドラフト2位で近鉄へ入団。
1年目から代走や守備固めを含め68試合に出場し、
初めて100試合以上に出場した94年に、遊撃のポジションをつかんだ。
96年からはコンバートされた二塁も含め球団消滅までレギュラーとして活躍。
松山商業高校、早稲田大学と、名門で鍛えられた高い守備力を誇った。
また、打撃では当時歴代7位(現在は10位)の279犠打を記録した小技だけでなく、
時にはヘッドをきかせた豪快なスイングから印象的な一発。
いてまえ打線の伏兵らしく大仕事もやってのけた。

タフィ・ローズ

Tuffy Rhodes

1968年8月21日生 182㎝ 87㎏ 左投左打
ヒューストン・アストロズ→シカゴ・カブス→ボストン・レッドソックス→
近鉄→巨人→オリックス
通算1674試合 1792安打 1269打点 464本塁打 打率.286
在籍 1996年~2003年
1081試合 1187安打 824打点 288本塁打 打率.289

1996年、近鉄へ入団。
1年目からチーム三冠王の活躍を見せ、シーズン3本のサヨナラ本塁打も記録。
年数を重ねるごとに長打力に磨きがかかり、
99年には40本塁打、101打点で二冠王に輝く。
リーグ制覇の01年には、日本タイ記録となるシーズン55本塁打でMVPも受賞。
球団史上最強助っ人の呼び声も高い。
近鉄退団後は巨人に移籍ののち、
1年のブランクを経て07年にオリックスへテスト入団。
40歳となった08年にも、40本塁打、自己最多の118打点で
三度目の打点王に輝くなど、健在ぶりを見せつけた。

大村直之

Naoyuki Ohmura

1976年2月13日生 173㎝ 70㎏ 左投左打
育英高校→近鉄→ソフトバンク→オリックス
通算1789試合 1865安打 568打点 78本塁打 打率.284
在籍 1994年~2004年
1207試合 1216安打 377打点 61本塁打 打率.279

1994年に、ドラフト3位指名で育英高校から入団。翌95年から一番に定着し、
98年には初の3割、23盗塁で、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を受賞した。
2001年には、それまで短く持っていたバットを長く持ち替え、
本塁打が前年の3本から16本に大幅増。リーグ優勝に大きく貢献すると、
03、04年にも3割20盗塁以上の活躍を続けた。
また、球団消滅の際には選手会副会長として精力的に動き、
05年からはFAでソフトバクへ移籍。09年からはオリックスで2年間プレーした。

鈴木 貴久

Takahisa Suzuki

1963年11月20日生 175㎝ 84㎏ 右投右打
旭川大学高校→電電北海道→近鉄
通算1501試合 1226安打 657打点 192本塁打 打率.257
在籍 1990年~2000年
1078試合 867安打 477打点 122本塁打 打率.254

1985年にドラフト5位で近鉄に入団すると、3年目に21本塁打。
そこから4年連続20本塁打以上と、
毎年のように西武と死闘を演じていた時期に中軸の活躍を見せた。
ひたすら練習で振り込み、鍛えたハードヒッターで
当時の近鉄のカラーに似合う選手だった。
10・19の第1試合、9回表に梨田昌孝の適時打で本塁へ激走。
勝ち越し点を挙げ、待ち受ける中西太コーチと抱き合ったシーンは今も印象に残る。
引退後も二軍打撃コーチとして若手育成に励んでいたが、
04年5月17日、急性気管支炎のため40歳の若さで急逝した。

ラルフ・ブライアント

Ralph Wendell Bryant

1961年5月20生  185㎝ 94㎏ 右投左打
エイブラハム・ボールドウィン農業大学 →ドジャース→中日→近鉄
通算 773試合 778安打 259本塁打 641打点 打率.261
在籍 1990年~1995年
570試合 556安打 176本塁打 447打点 打率.251

1988年のシーズン中に中日から金銭トレードで移籍すると、
以降の74試合で34本塁打。
奇跡的な追い上げで伝説の10・19を戦ったチームの原動力となった。
翌89年も、天王山の西武とのダブルヘッダーで
4本塁打の離れ業を見せた猛打は90年代も続き、
93、94年には2年連続の本塁打王。
90年6月には、東京ドームの天井を直撃する初の認定本塁打も放った。
一方で、90年代も4度の三振王となり、
なかでも93年の204三振は今もNPB記録として残る。
圧倒的なパワーとフルスイングでファンを魅了した忘れられない選手だ。

写真・原稿・協力/ベースボール・マガジン社