HISTORY

新時代の幕開け、球界に青い波到来

上田利治が最後に指揮を執った1990年、オリックス・ブレーブスはパ・リーグ2位ながら、首位、西武ライオンズから12ゲーム差をつけられ敗れた。

すると、ここから新生球団として大きなうねりを起こし、新たなチャレンジを続けた。翌91年、球団の名称がブレーブスからブルーウエーブに変更され、本拠地も西宮からグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)へ移転。神戸の市民球団としての一歩を踏み出すと、天然芝に解放感のあるスタンドを備えたメジャーリーグ仕様のスタジアムも完成した。

日本初となる男性による場内アナウンス、DJ KIMURAの伸びやかな声に乗って颯爽と現われたのが、イチローだった。パンチ佐藤とともに、日本で初めてカタカナ表記での登録となった94年、当時の130試合制では、一際価値を持つ年間210安打の日本記録を打ち立て、チームは2位ながらMVPも獲得。次々に記録を塗り替えただけではなく、オリジナリティーあふれるプレースタイルや言動も含め、ことごとく球界の常識を覆し、一大ムーブメントを巻き起こした。

そのイチローを世に送り出したのが近鉄時代には野茂英雄の登場にも一役買った仰木彬。91年から93年までの3年間、Aクラスを保った土井正三の後を受け、94年から指揮を執ると、勝負の流れをつかみ、機を逃さない、絶妙な手綱さばきで黄金期への道筋を作っていった。

写真・原稿・協力/ベースボール・マガジン社