UNIFORM BLUE WAVE

1991(平成3)年に、チームのニックネームをブルーウェーブと改名したときから2000(平成12)年まで使用されたユニフォームである。 このユニフォームを一言でいえば、イチローのユニフォームということになるのだろうか。

背中にICHIROと書かれた背番号51番のユニフォームは、どこのチームのファンなどということに関係なく、プロ野球ファンにとっては印象深い。それは日本の高度成長期に、当時のプロ野球ファンが見ていた読売ジャイアンツの背番号3番、長嶋茂雄のユニフォームにも匹敵すると言ってもよいだろう。

ただし1993(平成5)年まで、イチローの背中のネームはICHIROではなく、SUZUKIだった。そしてユニフォーム自体も、1991(平成3)年から2000(平成12)年の間に3段階のマイナーチェンジがあった。

右の袖章が変化していて、最初の1991(平成3)年から1994(平成6)年までは「KOBE」、そして阪神淡路大震災のあった1995(平成7)年から1998(平成10)年までが、「KOBE」の上に「がんばろう」がついて「がんばろうKOBE」となる。
で、さらに1999(平成11)年からはネッピーのマークがつくようになった。このネッピー・マークは全部で9種類もあって、仰木彬監督にはサングラスをかけたネッピー、投手は投球フォーム、足の速い選手は走る姿、その他、バッティングフォームや、守備の姿などもあった。つまりその選手の売りというか、特徴を表していて、各選手のキャラクターで使い分けていたのである。
公認野球規則には「同一チームの各プレイヤーは、同色、同形、同意匠のユニフォームを着用し……」という規定があるのだが、この袖章は特別に許可をえての採用で、球界初の試みであった。

大震災のあった1995(平成7)年は、「がんばろうKOBE」を合い言葉にオリックス球団としては初のリーグ制覇を飾る。翌1996(平成8)年には日本一となり、震災復興へ向かう神戸の街に明るい話題を提供した。

しかし2000(平成12)年10月12日、イチロー選手は、ポスティング・システムを使って、メジャーリーグのシアトル・マリナーズに移籍。このユニフォームもイチローとともにこの年いっぱいで姿を消した。

写真・原稿・協力/ベースボール・マガジン社