先月16日。予定通りの午後1時に谷佳知は現れた。京セラドーム大阪1Fにあるインタビュールームは報道陣で溢れかえっていた。カメラのシャッター音とフラッシュの放列の中で、谷は“引退”の2文字を口にした。現役生活の終止符を告げる彼の表情は、晴れやかであり穏やかで、そこからは彼の無念さや気持ちの翳りを見出すことはできなかった。「2000本安打に届かなかったことに、正直、未練はありません。それよりもプロ野球の世界で19年間プレーできたことの満足感の方が大きいです」と谷は言った。
谷がプロの門を叩いたのは1996年オフ。オリックスが長嶋・巨人を下して日本一に登りつめた直後の入団だった。仰木彬監督のもと、完成されていたチームの中に入っていくことは容易ではなかったはず。それでも、谷の非凡なる打撃センスを見抜いた名将は、田口壮、イチローという外野陣の中に、背番号「10」を置いた。鉄壁の布陣は忽ちにして完成したのだ。「僕はホームランを多く打てる打者ではなかったので・・・。2塁打をモチベーションにやってきました」谷がプロの世界で記した1927本(10月2日現在)に至る最初のヒットは、2ベースヒットだった。オリックスの主軸として確実に成長した谷は、盗塁王、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブなど、数々のタイトルを獲得。ジャイアンツに活躍の場を移してからは、オリックスでは経験できなかったリーグ優勝(5度)と日本一(2度)の栄誉に浴している。
そんな彼がオリックスに戻ってきたのは、2013年のオフ。勝利を渇望するチームにとって、優勝を知る谷の復帰は何よりも心強かった。「オリックスで2000本を!」という期待も高まった。
それでも、プロ野球選手としては決して大きいとは言えない体は、多くの故障を抱えていたのも事実だった。オリックスでの最後の2年の成績は、彼のキャリアからすれば無きに等しいものと言える。それでも、彼がこのチームに遺そうとしたものがある。それは、“勝利のマインド”。「幸運にも僕はジャイアンツで優勝という喜びに接しました。勝利を常に求められる大きなプレッシャーの中でプレーできたことは、自分の中でも大きな財産です。今、オリックスに必要なのは勝利。あと、それに向かう準備と心の持ち方だと思うんです。僕が経験の中で得た、勝つためのマインド、スピリットをこのチームに注入できればと思っています」オリックスへの復帰が決まったあとの本人の言葉であった。有言実行。谷は、ファームの若手に、求められれば、アドバイスを送ることを厭わなかった。饒舌ではないかわりに、彼の野球に取り組む姿勢と情熱が、迷えるチームに進むべき道筋を示し続けた。その姿は、今後、現役という立場から退いたとしても不変であろう。
始まりがあれば終わりは必ず訪れる。物事の道理である。今日を限りに、谷佳知は勝負を懸けてきたバットを置く。彼が背負う「10」番の最後の雄姿。「ファンの皆様に愛された19年間は幸せでした」ジャイアンツ移籍後、初の京セラドーム大阪で浴びた、オリックスファンからの熱い声援と暖かい拍手が忘れられないという谷。今日、このスタジアムで送られるファンの気持ちを彼はどう受け止めるのか。「次の野球人生では、谷佳知を超える選手を育ててみたい」そう、終わりは次のステップへの始まりなのだ。
“ありがとう。”
彼を見送る人々の想いはひとつだ。