
「お立ち台に上がったり入団会見の席に座ったり。ありがたいことにこの1年でたくさんの貴重な経験をさせてもらえました」。声を弾ませて今シーズンを振り返る柴田凌通訳(27)。バファローズのスペイン語通訳として今年1月に入団した。アンダーソン・エスピノーザ投手やアンドレス・マチャド投手をはじめ、今シーズンのバファローズの外国人選手は7人中6人がスペイン語圏出身。彼らの母国語でコミュニケーションが取れる唯一の存在として、柴田通訳は初めてのシーズンを奔走した。前職はグラウンドキーパー。通訳としては異色の経歴を持つ。転身に至った経緯と通訳としての思いに迫った。

◆「二人だけの世界」
小学3年生の頃に野球を始めた柴田通訳。「将来は絶対に野球に関わる仕事に就きたい」。少年時代からそんな夢を抱いていた。高校野球の名門・龍谷大平安高では、スタメン入りが叶わなくとも「責任の重い仕事でチームをサポートしたい」と自ら三塁コーチャーを買って出た。専門学校卒業後の2018年にグラウンドキーパーとなり、甲子園のライン引きや芝刈りなど、グラウンド整備全般を務めた。
22 年2月、沖縄での仕事中、外国人選手と通訳が楽しそうに会話している様子が目に飛び込んできた。聞き耳を立ててみたが異国の言葉はさっぱりわからない。
「『すごい。二人だけの世界なんだ』と感動してしまいました。外国人選手って堂々と振る舞う人が多くて、カッコいいなとずっと思っていました。その外国人選手の言葉を直接理解する通訳の方に、ものすごい憧れと尊敬を抱いたんです」
衝動に突き動かされるように英語の勉強を始めたが、興味はすぐにスペイン語に移った。「スペイン語圏出身の外国人選手はたくさんいるけど、スペイン語を話せる日本人は少ない。彼らの母国語を理解できる人になりたい」。スペイン語一本に絞って学ぶことを決めた。
勉強すればするほど、通訳への憧れは加速した。「グラウンド整備にもやりがいを感じていたのですが、その思いが上回ってしまったんです。挑戦するなら1日でも早い方がいい」。スペイン語を学び始めて半年も経っていなかったが、生の言語に触れるためにコロンビアへの留学を決意。4年務めたグラウンドキーパーとしてのキャリアに区切りをつけた。24歳、一大決心だった。


◆別世界のコロンビア
生まれて初めての海外。コロンビアは「日本とは全くの別世界」だった。勉強してきたはずのスペイン語もうまく通じず、トイレの場所を聞くのも一苦労。不安に襲われた。
ホームステイ先は少年野球チームの監督の家族。柴田通訳は、約30人の子どもたちが所属するそのチームでボランティアコーチを務めた。子どもたちが通う学校は午後から。早朝の午前7時から11時頃まで平日は毎日練習が行われた。
ホームベースは発泡スチロールのような素材に重しを置いただけの手作り。バットやボールは使い古されてボロボロ。十分な道具がそろっていない状況でも、子どもたちは目を輝かせて野球を楽しんでいた。柴田通訳が身振り手振りを交えてルールやバッティングのコツを教えると、笑顔と共に反応が返ってきた。
楽しみの一つとなったのが、毎週土曜日の野球大会。親も子どもも関係なく試合に出場する。試合中に差し入れのランチやお菓子をほおばる子どもたち。ひと度チームが得点すると飛び上がって喜び、ベンチに帰ってくる選手を取り囲んで祝福した。「自由で楽しい野球でした。皆、勝つことに貪欲で感情表現が大きい。刺激的な時間でした」。入国時に抱いた不安はいつの間にか消え去り、現地ならではの野球の魅力にどっぷり浸かった。
2ヶ月間の留学はあっという間だった。半年後、新しい野球道具を持って再びその監督の下でホームステイした。二度目の留学は4ヶ月間。本腰を入れて語学力を磨いた。

◆緊張のヒーローインタビュー
球団国際渉外部の羽場大祐部長はスペイン語通訳を募集した理由についてこう語る。「スペイン語圏出身の選手本人は英語を話せても、ご家族はスペイン語しか話せないケースが多い。日本で暮らすご家族を含めてより充実したサポートをするために必要な人材でした」。コロンビアでの留学経験と行動力が評価され、柴田通訳は晴れてバファローズの通訳となった。
「思っていた以上」と柴田通訳が語る通り、初めてのシーズンは幅広い仕事が待ち受けていた。主にルイス・カスティーヨ投手の通訳を務め、すぐ側でサポートを行った。住まいに関する書類の手続きはもちろん、遠征時の荷物管理からスポーツネイルのサロンの予約まで、求められたことはなんでもこなした。
選手が活躍した時の喜びは格別だったが、ヒーローインタビューの通訳については「心臓バクバクで。緊張しすぎてほぼ記憶がないです」。苦笑いしながら振り返る。
カスティーヨ投手のヒーローインタビューで花火ナイトについての質問が投げかけられた際には、とっさに「花火」のスペイン語が出てこず英単語の「firework」と身振り手振りで伝えた。
スペイン語の発音や文法は、コロンビア、ドミニカ共和国、ベネズエラ、各国で異なり「勉強の毎日でした」。わからなかった単語はノートに書き留めて何度も見返したり、スペイン語のニュースを毎日聴いたりして努力を続けた。
羽場部長は期待を込める。「彼の素直で親しみやすい人柄のおかげか、外国人選手も彼を助けようと、ネイティブ特有の言い回しや単語など、色々教えてくれていました。これからも選手とうまく信頼関係を築いてもらいたいです」
花火はスペイン語で「Fuegos artificiales(フエゴス アルティフィシアレス)」。その日にカスティーヨ選手とご家族に教えてもらったという。「もう忘れません」。柴田通訳は少し頬を赤らめながら振り返った。

◆温かい思い出になってほしい
柴田通訳は語る。「外国人選手がいつか日本で過ごした時間を思い出した時に、温かい記憶になっていてほしいんです。僕が今、コロンビアに何度だって行きたいと思っているように」
ふとした瞬間に思い出すコロンビアでの日々。手作りのグラウンドでバットとグローブを持って大はしゃぎする子どもたち。駆け寄れば、いつでもその輪に迎え入れてくれた。
シーズンを終えて実感したことがある。「通訳がすべきサポートは無限にあるように思います。チーム内での絆を深めるための橋渡し、日本で過ごすご家族のための環境づくり。そのためにたくさんの人と関わり、力をお借りしました」
あの日「二人だけの世界」だと思った通訳と外国人選手。その周りには想像を超える世界が広がっていた。(西田光)