チームの優しい「お母さん」 裏方で温かくサポート30年

Share

京セラドーム大阪のチームエリアで、選手たちがくだけた表情で話しかける。「お母さん、僕のプロテイン届いてた?」「母ちゃん、ここに置いてた荷物知らない?」。汗を拭きながら手を止めるのは、チーム運営グループの上岡千夜子(68)。オリックスという大所帯を30年も支え続けてきた上岡は、その温かい人柄からか、いつしか「お母さん」や「母ちゃん」という愛称で呼ばれるようになった。いつも優しく、お願いごとや相談ごとに快く耳を傾ける上岡に、チームのメンバーからの信頼は厚い。

◆幅広いサポート

上岡は1992年、38歳のときにグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)でビジターチームの飲料や備品を準備するスタッフとして球団でのキャリアをスタート。2000年から球団本部管理部チーム運営グループに所属し、現在に至るまでチームを幅広くサポートしてきた。自身の仕事を「大きいお家のお母さんみたいな仕事」と説明し、飲料の準備や郵便物の配布、洗濯物かごの取り替え、撤収時の忘れ物チェックなど、多岐にわたる業務をこなしている。

(写真:ベンチの冷蔵庫に入ったミネラルウォーターなどを回収するお母さん)

◆ミネラルウォーターの売り子?

特に労力を要するのが、飲料水の手配。チームは、500mlのミネラルウォーターを1日で120本以上消費する。上岡はケータリングルームから台車を何度も往復させて、ロッカールームやコーチ室、トレーニングルームなどの冷蔵庫に適切な本数を配置する。「プロテインを溶かす子や身体の冷えを気にする子もいるから、常温のお水も用意しておくの」と細やかな配慮も。残りの本数を計算しながら奔走する自身を「球場のビールの売り子ならぬ、ミネラルウォーターの売り子みたいよ」と冗談めかして笑う。

(写真:洗濯物かごを取り換えるお母さん)

練習後と試合後には、ユニフォームで山盛りになった洗濯物かごを、空のかごと取り替える。「取り替えている最中なのに、新しい方のかごにどんどん洗濯物入れていっちゃうのよね」。まさに家庭内で耳にしそうな、小さな愚痴をこぼすが、その瞳は愛情に満ちている。

◆縁の下の力持ち

上岡は、仕事のやりがいについて「試合に勝った時ももちろん嬉しいんだけど、私が色々先回りして動いた結果、みんなが滞りなく気持ちよく過ごせたらそれが一番」と語る。そんな献身的な性格からか、縁の下の力持ちである捕手が好きだという。「勝ったら投手が褒められて、負けたら責められやすい大変な仕事。それでも常に冷静に全体を見て、ひたすら自分の役割をこなす。心遣いのできる選手が多い」と称える。特に、伏見寅威選手について「私にも『何か困ったことがあったら俺に言ってよ』と声をかけて気遣ってくれる。本当に優しい子」と信頼を置く。

(写真:2020年7月9日、アキレス腱断裂から復帰しホームランを放った伏見選手)

伏見選手のロッカーに貼ってあるのは、左アキレス腱断裂から復帰後初スタメンの日に放ったホームランの切り抜き記事。2年前に上岡から「頑張ったね。良かったね」と手渡された。伏見選手は「辛い時期があっても、お母さんみたいに優しく見守って僕たちを支えてくれる人がいるからこそ頑張れます。本当にありがたい存在です」と感謝の気持ちを口にする。仕事は違えど同じ“女房役”として互いにシンパシーを感じているのかもしれない。

(写真:試合後、ベンチに忘れ物がないかチェックするお母さん)

◆チームへの感謝

上岡はこれまでの歩みを振り返り「こんなに長くこの仕事を続けるイメージはなかったんだけど、選手たちがみんな可愛くて良い子たちだから頑張って続けられた」とチームへの感謝の気持ちを繰り返し口にする。
プライベートでは7人の孫を持つおばあちゃん。「球団では『おばあちゃん』じゃなくて『お母さん』で良かった」と恥ずかしそうにはにかむ。たくさんの“子どもたち”から信頼を寄せられる人生経験豊富な母は、心の中で皆にエールを送っている。「後悔のないよう、今をしっかり生きなさい」。希望に満ちた眼差しをチームに向けながら、今日もせわしなく走り回っている。(西田光)

Share

前の記事を見る

次の記事を見る