昨年10月20日、ドラフト会議が行われた東京都内のホテル。中嶋聡監督、福良淳一GM、湊通夫社長とバファローズのトップが揃う6名定員の会議室に、24歳1年目スカウト、岡崎大輔の姿があった。1巡目に指名するのは、公表していた通り白鴎大学の曽谷龍平投手。「担当スカウトとして12球団の中で一番、曽谷投手を見てきました」。自信を持って語る岡崎スカウトに「きっと縁をつなげられる」と牧田勝吾編成部副部長がゲン担ぎのために最後のパソコン操作を任せた。その場にいる全員が固唾をのんで見守る中、岡崎スカウトは震える手でマウスを動かし、パソコンの最終確認画面で「はい」をクリック。後は天に祈り、他球団が指名する選手の名前を息を凝らして見守った。「神様お願いします。どうか、うちに来てくれますように」。そして、無事単独での指名に成功すると、一気に緊張がほどけ、歓喜に震え、ガッツポーズを繰り返した。「この1年、本当にありがたい経験をさせてもらいました」と、岡崎スカウトはこれまでの奔走を振り返る。
◆2021年に引退
花咲徳栄高出身の岡崎スカウトは、2016年、ドラフト3巡目でバファローズに入団。17年10月には一軍デビューを果たし、大谷翔平投手との対戦も経験した。19年10月に戦力外通告を受け、育成契約に。21年8月、支配下に復帰を果たすも11月に戦力外となった。
二度目の戦力外となったその日、牧田副部長からスカウト転身への声がかかった。「もともと自分は野球を考えたり観たりする方が得意かも」。ユニフォームを脱ぐことに迷いはほぼなかったという。
与えられた担当地区は北関東。「1年間で高校、大学、社会人トータルで150チーム近く見てきました。試合も軽く200試合以上は観ました。迷ったり困ったりしたらとにかく動く。それの繰り返しでした」とスカウト活動に精を出した。
◆ほれた選手
牧田副部長に繰り返し求められたのは「ほれた選手を教えてくれ」。昨年2月、“ひとめぼれ”した選手が曽谷投手だった。力のあるストレートを見て「すごい。こんな左投手がいるんだ」と圧倒された。「ゆっくりめの投球フォームから急にバッと腕を振ってくるので、タイミングがとりにくい。気が付いたらすぐそこにボールが来ている感覚になる」と自身が選手として打席に立った場面を想像しながら話す。最終学年を迎えた曽谷投手は、さらに変化球の精度、制球力にも磨きをかけ「胸を張って一番に推薦できる投手になりました」と岡崎スカウトは言う。
◆感謝の色紙
ドラフト会議の翌日、指名挨拶で曽谷投手に会うと、満面の笑みを浮かべていた。岡崎スカウトは「本当にバファローズに入団したかったんだな、と思いました。ドラフト時の祈るような気持ちは自分と全く同じだったんだと思います」と改めて緊張の瞬間を思い出す。
仮契約の日には、曽谷投手からおどけながら「大好きです」と書かれたサイン色紙をプレゼントされた。「歳も二つしか変わらないですし、すごく可愛い。嬉しかったんで、額縁も通販でポチってしまいました。自室のテレビの横に飾っています」と照れ笑いを浮かべる。さらに、感慨深げな表情で「自分、もってるなぁと思います。球団の補強ポイントやGMの意向に偶然合致して、スカウト1年目でほれた選手を1位で獲得できた。本当に嬉しいご縁です」と話す。
◆経験を糧に
1月13日の新人合同自主トレで、岡崎スカウトは曽谷投手を目で追いながら「プロの世界では悔しいことや苦しいこともあると思うけれど、焦らずに頑張ってほしい。本人が目標としている能見さんのように、長く、楽しい野球を続けてほしい」と願った。
スカウトとしての自身について「一軍選手、二軍選手、育成選手と、広くプロの世界を経験したからこそ、選手のレベル、そして気持ちもわかる部分があると思う」と語る。「これからも、たくさんの球場に行って、いっぱい日焼けして、しっかり選手を見抜けるスカウトになりたい。40歳ぐらいになった時、バファローズのスカウトといえば岡崎さん、と言われるぐらいになれれば」と、スカウト道を極める覚悟をにじませる。淀みの無い真っすぐな目で、今年もほれた選手を追いかける。(西田光)